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#04 ささやき



 昔、といっても僕が六才の頃。
 僕は耳が良かった。
 音感、といった類いではない。遠くの気配を感じる、とでもいうのだろうか。

 たとえば。
 「お父さんが帰ってきたよ」
 母、僕、妹が部屋にいて僕は言う。
 その当時父は車で通勤をしていた。
 しかし母は「そんな音はしない」と言う。
 父が帰ってきたら車の音がするはずで、そんな音はしない、と言う。
 果たして、十分もしないうちに父が帰ってきた時に母がそう言えば、と訊ねると、父はその時刻には帰宅はしていない、と答える。

 ただ、僕が訊ねた時間に車で家の前を通ったが、と。

 たとえば。
 父親が厳しかったせいか、かなり顔色を窺う癖がついていた。
 遠くから歩いてくる音。
 引き戸を開ける音。
 車のドアを閉める音。
 音だけで父親の機嫌を察していた。
 それは「怒られる」という自分にとっての災難を予め知ろうとする子供じみた予感だったのかもしれない。
 そういう音や予感で背中に鳥肌が立つような悪寒が一瞬走る時、間違いなく僕は「ちょっとこっちに来い」と言われ怒られていた。

 別に超能力や予知能力の話をしたい訳ではない。
 僕にそんなものがあるとは微塵も思っていない。
 今考えると、音というのはただ単にそれに近い時刻になれば父親は帰ってくるという生活のリズムだろうし、空耳だろう。
 怒られる予感というものは、えてしてその前に約束や言いつけを守らなかった自分の悪さをその瞬間に思い出すだけだろう。

 よく子供には見えたり聞こえたりする、というではないか。
 いつからそういう音や予感めいたものが消えたのだろう。
 思い出せないほどに僕は年を取ったのだろう。

 けれど今、それに代わるものは時々ある。
 「ささやき」だ。
 電気を消し、布団に入り、そして眠りに落ちる、あの瞬間。
 「ぅあぁ」と耳許を通り過ぎる声。
 あれだけ眠かった体がビクンと反応して、眠気は一瞬にして消え去る。
 時には「お爺ちゃん、選挙には行ったの?」という声が聞こえることもある。

 眠りに落ちる瞬間には、精神が離れやすいとは聞くが僕はそう思わない。
 いや、思いたくない。

 ただ、夢を見ているだけなのだ。
 僕の横で誰かがささやく夢を。

 単なる、

 夢を。


(2003年5月13日)



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