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#11 長雨に思う


 完璧に外れた週間天気予報が脳裏をかすめながら傘を開いて歩き出した。
 梅雨明けしたにもかかわらず今週は雨が多い。梅雨前線が上に上がりきらぬまま梅雨明け宣言したからだ。
 今年は、というよりも年々四季の移り変わりが変動していると感じているのは僕だけだろうか。異様に早く桜が咲き終わったかと思えば中々雨が上がらない空。八月の声を聞こうかという時期に傘の心配をしなければならないほど降雨量は例年多かっただろうか。
 四季がカレンダーからずれてしまうと、すべてがずれてゆく。いつまでも雨が残れば夏物は売れず、レジャーに人が集まらず、農作物が冷夏の影響で高騰する。
 いつも通りという、言い換えれば「例年」というモノサシが僕達の日々の生活を規定しているのだ。それに従ってモノは作られ、流通し、消費されてゆく。四季の移ろいとはそういうことなのだ。
 すでに秋、冬のずれを見越して苦労されている方々も多いと聞く。保険会社には冷夏デリバティブという商品もあるそうだし、コンビニでは未だおでんなどの商品が売れるので売り場から撤去できないという。
 企業の営業活動に四季という自然が合わせてくれるわけはないのだが、気まぐれな自然に悪戦苦闘する人間の滑稽さよ。悠然と構えて涼しい夏を楽しもうとはできないものか。
 しかし、この不況真っ只中でそんな悠長な台詞は自殺行為だ。主食であるコメですらシステマティックに生産管理され、資金が投下されているのだ。計画通り生育し、収穫できなければ文字通り「喰ってはいけない」。
 改めて考える。
 自然の偉大さを。


(2003年7月30日)



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