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このコラムは前編があります。未読の方はそちらを先にどうぞ。



#18 それは33才 〜後編〜


 「いらっしゃぁい」
 フニャフニャとした台詞回しでそう言ったその男はオーバーオールの上からエプロンをしていた。お盆に水割りグラスを乗せ、右手でそれを顔よりも高い位置に持ち上げながら左手は背後に回して手首をくにゃりと曲げ、横向きのまま同じように左足を後ろに上げてポーズを取っている。
 「あぁらEちゃん結構早かったじゃない。奥どぉぞぉ」
 おカマっぽい話し方のエプロン男はポーズを解くと、くねくねとした動きで僕らをボックス席に案内した。
 ボックス席と言ってもカウンターは5人も座れば満席、ボックスも狭い間隔で3つ。そんなに広い店ではない。
 「ショウさん、ここのマスターの○○さん」
 「マスター、この前電話で話したショウさん」
 やっぱりこの人がマスターか。顔には出さなかったが僕は少しがっかりした。オカマバーというものが僕はどうしても面白いと思えないのだ。
 「どうも、初めまして、ショウです」
 「どうもー、マスターでーす」
 Eちゃんは交互に紹介した後、マスターが僕の正面で作った水割りを僕に手渡した。何をそんなに楽しみにしているのか、ワクワクした顔でEちゃんは僕とマスターを見比べている。
 「ね、ね、マスター、どう?」
 Eちゃんは氷を取りに立ちかけたマスターに呼び掛けた。
 一瞬ちら、と僕を見たマスターは立ち上がりかけた腰を落として、今度は正面切って僕を見据えた。がすぐに視線を外す。
 まさかEちゃんは僕をおカママスターへの生け贄にするのではあるまいか?
 マスターがボソッと呟いた。
 「甘ちゃんね」
 甘い?僕は言葉の意味が分からなかった。Eちゃんに対しての言葉なのだろうか。
 しかしマスターは僕を見ては視線を外し、を繰り返している。
 「人に厳しく自分に甘いのね」
 今度はEちゃんが驚いた顔で僕を見つめる。
 何だ何だ?
 僕は訳が分からずに、取りあえず無表情で水割りグラスに口をつけた。
 「それでそれで?」
 Eちゃんはまるで絵本をせがむ子供のようにマスターをせっついた。マスターはマスターでいかにも「しょうがないわねえ」と言う母親のように言葉を続ける。
 「極端なのよね、あなた」
 マスターははっきりと「僕に」向かってそう言った。
 言った後で体がクネッと動いた。もうすでに僕から視線を外している。
 気が付くと、カウンターでお通しを作っている、他の女性よりも年上らしき美人の女性以外は動きと、そして口を止めてこちらに注目していた。カウンターに座っていた背広姿の男などはわざわざ振り返って僕の方を見ていた。
 店に入って数分で僕は見知らぬ人間達から注目の的になっていた。
 何だか居心地が悪くなってマスターから視線を外した僕はチラチラと店を見渡した。おカマバーではなさそうな店の雰囲気。数人の女性達はどう見ても普通のスナックのホステスさんたちにしか見えない。この普通過ぎるほど普通のスナックの中で浮いているのは─────。
 ───マスターだけなのだ。
 「どっちにしても行くとこまで行くタイプね」
 マスターの声にふと我に返る。
 ここで初めてEちゃんが僕に耳打ちした。
 「マスターはね」
 「うん?」
 「見えるの」
 「見える?」
 「そ。見えるの」
 ここで店が再びざわつき始めた。他の客や女性達は、種明かしを見ちゃおしまいだと言わんばかりにそれぞれの会話に戻ってゆく。
 が、普通に戻れないのが僕だった。
 「見えるって何がさ」
 「んー、だから、その人の運命とか、未来とか?」
 語尾の最後を少し上げてEちゃんはマスターを見た。マスターは頷くでもなく首を振るでもなく、しかし所在なさげに僕を見ては顔を背けたりしていた。
 「すんごい当たるんだよ、マスターは」
 「へ、へえ」
 僕は冷や汗が出るのを感じていた。
 そういう類いの話は自分の目で確認しない限り絶対に信じないタイプなのだが、この雰囲気は一番苦手な雰囲気だった。
 このまま僕は全て「見通される」のか?少なくともマスターが発した「甘ちゃん」と「極端」という言葉は実は当たっている。何となくそういう人かもしれないという気はしていたが顔に出せば白旗を上げたような気がして僕は知らぬ存ぜぬの振りをしていただけなのだ。
 そのマスターは急に舞台に上げられた観客のように落ち着きなく体を動かし、恥ずかしそうにしている。
 「今何してるの?」
 「建築関係の営業です」
 「そう。向いてないわね」
 その所在なさげな動きとは裏腹に出てくる言葉はスパスパと僕を斬ってゆく。
 「へえ、じゃあショウさんにはどういうのが向いてるの?」 
 横からEちゃんが口を挟む。
 マスターは今度はさっきより少しだけ長く僕を見た後、「芸術関係」とボソッと言った。
 「えー、やっぱり当たってる!ショウさん小説書いてるんだよね!」
 「う、うん、まあ趣味でね」
 Eちゃんはまるで自分が当てたような、嬉しそうな顔でグラスを傾けている。
 「なあんとなくそんな気がしたんだよねえ、私は見てもらえないんだけどね」
 「Eちゃんが?」
 「そ。マスターはね、自分のお気に入りしか見てくれないんだよ。私なんかここにもう2年くらい来てるのに1回も見てくれないし。あそこにいるカトーさんも見てよって言っても全然駄目」
 Eちゃんは、さっき振り返ってこちらを見ていた背広姿を指差した。
 「いまここにいる人たちはほとんど常連さん。その中でマスターから見てもらったのはあの人だけ」
 Eちゃんは一番奥のボックスに座っている男を指差した。
 だからみんな興味津々だったのか。一見の僕にマスターがどう対応するのかみんな気になっていたのだ。
 「あなた」
 マスターが再び口を開いた。
 「そういう関係に行きたいのなら」
 実は僕は転職を考えていた。やはり好きな広告関係に行きたいと。しかし口に出さずにマスターがどこまで僕に迫れるか試してやろうと思い始めていた。当たる当たるって言ったって、もしかしたらEちゃんが僕の事を事前にマスターに教えていたかもしれないではないか。
 これはゲームだ。
 人の未来をネタにした酒の余興と思えばいい。
 「ずっと念じなさい。いつもいつもその事を考えなさい。いつも思えば、好むと好まざるとに関わらず人間ってのはそちらに近付いていくんだから」
 「はい」
 僕はいかにも、と言った感じで頷いた。
 「あなた、人生でこの人って人を早く見つけてその人に付いていきなさい」
 「はい」
 「まあ人生の師みたいなものね」
 「はい」
 「さっきも言ったけど芸術関係は向いてるわ」
 「はい」
 僕はお説ごもっともと言わんばかりにうんうんと頷いていたので気が付かなかったが、マスターはさっきよりも少し険しい顔で僕を見るようになっていた。僕がマスターを半分馬鹿にしているのがバレたのか?
 「あなたは」
 明らかに今までとは違う声のトーン。低くなっている。
 「自分が良ければいいタイプ」
 さすがにEちゃんも変化に気が付いた。しかしそれが何故なのかは分かっていないようだ。
 「どしたの?マスター」
 「とことんまで突っ走っちゃう。いいにしろ、悪いにしろ。悪い事だって際限がないわ。落ちるところまで落ちるのよ。それで本人がいいと思ってるんだもの。周りが何て言っても聞かないわよね?突き詰めてっちゃうんだから。悪い方にだと極悪ってとこね」
 「マスター?」
 Eちゃんが口を挟むがマスターは止まらなかった。やはり本物なのかこの人は。
 「大事な人がいようと家族がいようと落ちるのよ。ブレーキなんてきかない。こうと思ったら頑固なんだから」
 マスターの言葉の迫力に押されて僕は返事をすることすら出来なかった。
 僕は確信した。マスターは僕の態度を完全に見透かしている。
 「でも」
 じっとりとした汗が流れているようだ。マスターの次の言葉が恐ろしい。Eちゃんももう口をつぐんでいる。
 「優しすぎるほど優しいのよ、あなた」
 予想外の言葉に僕は心底ホッとした。どれだけキツい言葉が出るかと身構えていたから、その言葉に体の力がフワッと抜けていった。
 「どちらに転ぶかよ。良くも悪くも突き詰めないと気が済まないんだから。突き詰めるならいい方にしときなさいよ」
 僕が怯えていたのにマスターは気が付いたに違いない。声のトーンにもう険しさはない。
 「.....は...い」
 「それから、33が転機ね」
 「33?」
 「それがいいか悪いか私には分からないけどね」
 そう言ってマスターは立ち上がった。僕が店に入って来た時のようにクネクネと動きながら、お盆を片手にトンットンッとケンケンしながらカウンターに向かって行く。
 そのマスターの背中を見ながらEちゃんは僕に言った。
 「ね、面白かったでしょ?」
 氷が溶けて薄くなった水割りを僕は一気に飲み干した。
 フゥッと息を吐いてトン、とグラスを置く。
 相変わらずマスターは微妙に体をくねらせながら、そして僕を見てはいなかった。






 今月、僕は33才になった。
 あれから早いもので10年が経った。
 あっという間だった。
 不思議なマスターに会った翌年に僕は念願の広告関係に転職した。
 それが念じ続けていたからなのかどうかは分からない。
 Eちゃんとは今は音信不通だし、あの焼き鳥屋も足が向かなくなって何年が経つのだろう。
 ましてあのマスターとはそれっきりだ。



 転職したての頃に比べて仕事は楽しさが減った。
 社会の裏と表が少しづつ見えてきた。
 会社も裏と表が分かってきた。
 体調はここ数年徐々に落ちてきている。
 ぼんやりとした、余りに漠然としていてどういうものか言葉に表現するのが難しい不安は確実に大きくなっている。



 だからこそ、今年はリニューアルの年と自分で決めているのだ。
 流れていないか?
 匙を投げていないか?
 どうせ、と最初から結果を予測していないか?
 滅多にそういう事をしないというマスターがどうして僕を見てくれたのか今は何となく分かるような気がする。
 どうせ転がるならマスターの言うように「いい方」に転がりたいと思うのは人間ならば普通だろう。マンネリを打破して全てを一度リニューアルし、気持ちも新たに再スタートを切る丁度良い年なのだ。
 都合が良すぎる解釈もたまには必要だ。




 だけど。
 僕はひとつだけ確信している事がある。
 あの時マスターは、「33才が転機だけどもそれがいいか悪いか私には分からない」と言った。
 天の邪鬼で疑り深い僕をあれだけ見通したのだ。
 マスターは本当は分かっていたはずだ、と。






(2004年5月22日)




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